今年の想いは、

 半年ほどブログへ投稿していなかった。年も押し迫ったので、振り返りつつ、今思うがままに書いてみる。

 

 2016年は僕のとって身近な人の死に接した年になった。1月に学生時代の友人、3月に飼い猫のまりんば、9月に母、そして10月には何かと僕の活動を後押ししてくれた友人と続いた。死んでしまった身体をまじかに見たり触れたりもした。

 もう一方では二人の孫の成長に触れる機会もあったので、生きるものの身体の死と、いのち、ということを思わずにはおれない日々を多く体験した。

 

 1月の友人の死はその頭脳に収められていた筈の知の集積を思い、口惜しさがこみ上げる。誰か彼の跡を継ぐ人はいないのか!

 猫のまりには病があって、治療が不可能なため、獣医師の口から安楽死という言葉も出た。その後、眼球の上のこぶを膨らませては爆発させることを繰り返し、比較的元気に1年以上過ごした。いよいよ元気がなくなり、2日ばかり餌も食べられなかったが、最後の日も、納屋の棚の上の寝床に収まって息を引き取ったようだ。朝、硬直した体を抱いて、どうやってここに上がったのか、と思うと涙もこみ上げた。明日も目覚めるため必死で駆け上ったのかも知れない。

 母は長く施設でお世話になった。その間、病気や骨折などもあって、いよいよ寝たきり生活かと何度も覚悟したが、その都度、それなりに復活した。最後は夕食まではさほどのことなく、その後あっという間に亡くなった。

 その中陰のさなか、思いもかけぬ友人の訃報が舞い込んだ。気持ちの整理もつかぬまま、葬儀に列席するために会場に急いだ。途中腹が減って、ラーメン屋に入る。彼はもう腹もすかないのだ、と思うとこのラーメンは僕が今生きているしるしだとさえ感じた。普段の元気そのもの姿しか思い浮かばないので、棺の中の彼は初めて小さく思えた。

 

 僕も歳からすれば何があってもおかしくない。幸い、何ということなく日々を過ごせているが、起きて、食べて、仕事をして、寝る、そんなことの繰り返しが、要は生きている姿なんだと、言っても言わなくてもいいようなことを、改めて言ってみたくなる。

 

 仕事の整理は少しずつ進んでいて、幸運にも自分の思いをある程度受け止めて音楽活動を引き継いでくださる方がいる。ありがたい。

 その一方で新たな仕事にも携わり始めた。就労移行支援事業所ミューズラボ伊勢のスタッフとして週に2日ばかり勤めるのである。僕はここで、信頼にたるスタッフと協働して音楽活動を進めている。迷いつつ、ともに歩むスタイルがここのベースになりつつあり、共に活動することに喜びを覚える。

 また音楽を通して様々な若い世代の人と交歓する機会にも恵まれ続けている。

 

 いくつかこなさないといけない仕事もある。まあぼちぼちと・・・。