1月が終わって・・・・

 年末の娘家族とにぎやかに過ごした後の実に穏やかな、ちょっと気味悪いくらいの好天が続いたお正月でした。

 その後、僕は初めてスマホを持つようになり、障害負う幼い子どもやおとなの方とのグループの音楽活動をリードしたりしました。普段とはちょっと違うけれどまあ想定内の日々でした。

 

 突然、大学で同期であった友人の訃報が舞い込みました。卒業の年に知り合ったこの人は、学生の頃から成熟していて、ずば抜けて頭の良い人でした。僕は彼といっぱいいっぱい話をし、文通し、僕がフランス語を多少なりともしゃべったり、物を考える、思索する、ということの源は、彼との対話なしには考えられないような人です。お互いの結婚式にも友人としてただ一人参列しあった間柄ですが、友人というには恐れ多く40数年にわたる大師匠でした。筋の通った揺るぎのない人で、情緒に流れる僕は絶えずたしなめられ、批判され、緊張もしておりました。ですが僕のもっともコアな部分で大きな共感、支えもあったのです。何を行ってみせても言葉にしてみても、僕の芯が瞬時に分かる人でした。

 棺の中に彼を見るのは何とも不思議な気分で、いまだに心が定まりません。

 

 その直後、あこがれの即興ミュージシャン新倉壮朗さんがやってきて、僕の仲間ご一緒して素敵な即興ライブコンサートを行いました。僕の願う生きた音楽の活力がそこで曖昧ながら形のようなものを見せらたこと、新倉さんに感謝し、仲間に感謝しています。

 

 そしてこれはつい先日ですが、学校の先生や児童療育、そしてピアノ講師や音楽療法士がそれぞれに自らの実践を話題として学びあう研修会がありました。未熟であってもいや未熟であったればこそ、こうした面倒な作業は重要で、そのことを参加者がほぼ全員共感していただけたこと、うれしい限りです。

 

 僕は何かあるたびに揺さぶられ、その余韻でもって、次へ踏み出し、しかもいろいろ人を巻き込んで、自分の思いを形にする作業を重ねてきたと思います。迷惑、面倒をいとわず、付き合ってくれる人々に申し訳なくも、「どうだ、よかっただろう」みたいな気持ちもあるのです。

 

 1月はことのほか、揺れ幅の大きい、言葉では収めようのない日々でした。

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コメント: 2
  • #1

    kikyou (水曜日, 03 2月 2016 10:22)

    人生のスケールが大きくなると、喜びや悲しみのふり幅もそれに従って大きくなるときいたことがあります。
    ご友人、お寂しいことです。居場所は変わられたけれども、きっと見ていてくださるのではないでしょうか。

  • #2

    地元で地道じいじくん (水曜日, 03 2月 2016 10:32)

    kikyou さん、あたたかいおことば、ありがとうございます。いろんなこと気にして、その一つ一つきりをつけることもないまま、迷い惑い、そう思うしかないですねえ・・・。ホンマありがとうございます。