カオルさんとようちゃん との出会い(再会)

 僕は、音楽療法というフィールドに軸足を置いて音楽活動を生業としている。もとは学校の先生で、勤務する玉城中学校で出会った2人との音楽に秀でた子どもとの出会いが今の道を歩ませたともいえる。

 1990年ごろ、障がい児学級で出会った「カオルさん」と音楽をやりまくり、その時は小学生であった「ようちゃん」とも出会い、のちに中学校では彼を担任をした。僕らのエポックメーキングな出来事といえば「なかよしバンドニューイヤーコンサート92」と「EKOライブインいせ(94年)」である。当時のエキサイトぶりは「僕らはみんなミュージシャン(音楽之友社)」という本にまでなった。絶版だがアマゾンだと古本を100円以下でで買えるので、ぜひお求めいただきたい。

 

 で、その二人も今は若者と呼べる年齢を過ぎた。ようちゃんのほうは今もそれなりにお付き合いが続いているが、カオルさんとは長い間つながりも途絶えていた。

 

 その二人、実はほかの重要な仲間とも、一堂に会する機会に恵まれたのである。僕らが一緒にバンドを目指して活動していたのは、1993年ごろから95ごろであっと思うので、20年ぶりのことである。期せずして、顔を合わせることになったのは、先月行われた「ライブスペース勢の!イン玉城」というコンサートである。主催、運営そして会場と、まさに玉城、という地元であったればこそ果たせた出会いであった。地元のコンサートは本当にいいなあ、と思う。

 「太鼓たたいて~   人様寄せてよな~   俺もあいた~い   人がいるよ~   (八丈太鼓ばやし)」

 

 ようちゃんは、僕と二人でステージに立った。まるで15年も前の時のように、彼の作詞したオリジナル曲を二人の掛け合いで披露した。

 そこのオーディエンスの一人としてカオルさんがお父さんに連れてきてもらっていたのである。

 

 子どもだった彼らと子どもっぽい先生の僕は、思いつくことをやりながら、周りの音楽の先生やミュージシャンさながらの国語の先生の共感が得られたことを自信にして、様々なステージを経験し、お集まりくださったお客様の感動に触れることができたのである。僕は彼らの天才を見出した気でいたのであった。

 

 その後、僕は順風満帆というわけでは決してないが、文字通りいろいろな人と音楽して、それを肥やしに、活動を広げるような音楽療法士人生を歩んできた。もちろん現在進行形である。一方二人は、子どもからおとなになる過程で、様々な困難を抱えたことと思う。

 今の彼らを見て、当時の勢いを思い浮かべれば、懐かしもさることながら、さみしさ、つらさ、くやしさもこみ上げる。

 

 しかし、もともと彼らは天才でも何でもなかったのかも知れないし、おばさん、おじさんとなった彼らが子どもの時のような輝きを発することがなかったとしても、何の不思議もないだろう。それでも、お互いがある時期一緒に音楽することで、自分に身の内にも、そして何より僕らの周りの人々に、強い感動と絆を生み出した事実も鮮明に記憶に残っている。それが僕をここまで歩ませたし、きっと二人にも何がしかが住み着いてもいるだろう、と思わずにはいられない。

 

 「じいじくん」の僕は「カオルさん」や「ようちゃん」と時々音楽のお付き合いを始めようかと思う。「昔の名前で出ています」みたいな話である。