11月も半ばが過ぎ・・・

 新倉タケオさんをお迎えして、明和音楽祭の野外ステージに「エール」のみんなと演奏をして始まった11月も下旬にさしかかる。


 2つのことを書いておこう。


 一つは、おおぞら児童園を訪れて、4~5歳の障がいのある子どもたち9人と音楽をしたこと。人の一生で一番輝き美しい時期ではなかろうか、そう思うようになって久しい。子どもたちは見慣れぬ爺さんに警戒しながらも、繰り出す道具に少しずつ(このちょっとずつがステキなのだ)触るようになり、試すように音を出してくる。その手応えに気持ちを傾けているせいでもあろうか、子どもたちは僕への警戒心も緩み、この爺さんに目を向け微笑みや笑顔をくれるようになる。そのうちに思い思いの、それなりにしっかりした音がその場を覆う。

 本年度中に、この子たちと、あと2回、音楽する機会を与えられていて僕は本当にうれしい。


 もう一つ。昨日、かつての音楽デュオの相方ようちゃんと久々に2人だけのセッションをした。次の日曜日、玉城町で催される「ライブスペース勢の! in 玉城」のステージに乗ることになっていて、その打ち合わせのための手合せである。

 連れてきてくれたお母さんによると、「今日は調子が悪い」とのことであった。だが慣れ親しんだレパートリーを太鼓やカズー、そして僕のギターでやっていくうちに、ようちゃんは元気な姿を取り戻して、演奏に興じた。

 ようちゃんは、小学校の頃は天才パーカッショニストであった。中学になると担任の僕に次々詞を書いて見せ、僕もせっせとメロディをつけ一緒に歌いまくった。そのうちのいくつかがCDにもなったし、ふたりしてあちこち出かけ、大勢の前でやりまくったものである。

 ちょうど、今の新倉タケオさんがやっているように、その頃は僕はようちゃんと音楽してやっていけるんじゃあないかと夢見てもいた。

 ところが、成人を前にようちゃんは急激に落ち込んで、ひきこもったりもするようになった。

 

 その後も紆余曲折はありながら、緩やかな関係は保たれていたが、ようちゃんは僕のデュオの相方ではなく、音楽療法グループのメンバーの一員であった。

 一時、セッション中も床に寝転んだり、そもそも外へ出られなかったこともあったことからみれば、まあ良い状態とは言えるものの、かつての天才パフォーマーとしては、片鱗も見られないことが多い。

 僕は、情けなくもあり、一緒に情熱を傾けてやってきたことにも、空しさを感じるようになった。もちろん親御さんの思いに比べれば、どうということない程度なのだが・・・。

 そのようちゃんが、安定的に良い状態になってきたのが一昨年あるライブで出演を呼びかけた時からである。それからというものなるべく、かつての様に人前で演奏する機会を作るように努めてきた。


 往時の勢いから見れば、という、ちょっとさみしい気持ちもないではないが、やりまくってきたからこそ、今も一緒にステージ立てる有難さを思えば、つい涙もこみあげる。

 

 人はいろんな風に、いろんな人と、いろんなところで音楽して、自分と周りの人と通い合わせ、生きていくものなのだろう。おっさんになりつつあるようちゃんと爺さんの僕がやるのを見てくれる人があることを、心から感謝したい。

 本番まであと4日。頑張ります。