英語で論文を書く

 さて、続いて英語で論文を書くことについてである。

 英語が自分で書けるわけでもないのに、そんな気になったのは、何となくの勢い、という以外にないだろう。

 

 しかし今となっては、英語論文作成のプロセスが、大変自分の身になったことを実感している。


 第一段階はA4で1枚程度の発表の概要を書くことであった。

 大体のところを日本語で書いて、業者さんにお願いすると、ほどなくして、ほーっと感心するような英語で返ってきた。すっきりした英文である。

 しかし、気になるのは「障がい」をhandicapという言葉で書かれていた点である。またこれで自分の思いが伝わるものかどうか不安であった。僕は業者さんの英文を基に、とぼとぼと自分で英語を書くことにした。

 その後紆余曲折があって音楽療法の分野にも精通した英語の堪能な研究者の援助を受けることができた。この方は日本人だが、僕の意を汲んで、さらに僕の原文(日本語・英語)の問題点も整理して、すっきりと書いてくださった。僕の日本語が英語に変っただけではなく、論点がある程度明確になったのである。つまり、素人の日曜大工仕事をプロが整えて仕上げてくれたわけである。僕は嬉しかった。


 半年ほど経って、査読通過の連絡があった。文字通り、援助くださった研究者のおかげである。


 さてここからが英文作成の本番、30分間のプレゼンテーションの準備である。幸いなことに、カナダの大学で音楽療法の学位を取った音楽療法士が村井楽器の職員がいて、ここからは彼女に全面的に頑張ってもらうことになった。

 

 とりあえず日本語で書き、また英語で書き、それを彼女に託すのだが、彼女自身が僕の言いたいことが明瞭に分からなければ英作文ができない。何度も何度もやり取りをして、何時間もかけて作ってくれた英文を使わないことになったりもして、だんだんと僕の頭が整理され始めてきた。


 日本語だと何となくわかった気になって書けてしまっても、それを意訳して英語になったものでは、しっくりこなかいことも多かった。次第に僕の書く日本語が、単純で断定的な表現になっていく。そうなるとそこにくっついていた、僕の様々な想いはどうなるのか、結局違うところで異なった述べ方で別の言説が挿入されたりもする。


 これは、日本語を英語に置き換えるというような単純な作業ではなく、自分の頭の大掃除であった。


 もちろん日本語だけでも、このような作業は必要である。だが、英語で表現するという必要に迫られて、ようやく自分の想いを整理し始めることができたのだとも思う。


 この右往左往は、僕ひとりでは到底叶わないことだった。


 最終的に、隅々まで納得いく内容が構築できた。テーマは「村井楽器で取り組んだ音楽療法プロジェクト」であるが、この内容に関しては他の誰も知らいことを僕が知っていて、いわば「世界的権威」なのである。

 ということで、まっすぐに英語で自分の実践をアピールすることができ、予想以上のご好評をいただいた。


 英語で書く、ということはこれまで日本語で捉えていたことが、また別の角度から見ることにつながる。英語表現のため、切り捨てなければならないことが出てくる一方、その代わり逆に日本語では言いにくいことがすっきり表現できたりもする。ここでは何が大事か、常に取捨選択に迫られる。

 さらに、これはどうしても言わなければならないのだが、誰も知らない「村井楽器の音楽療法プロジェクト」を事細かに紹介して、何になるのか。要は世界中から集まった音楽療法士の方々と何を共有して議論をするのか、ということなのである。そのために、十分ではない英語を書くのである。

 僕のしたことは、ようよう入口まで来たというところだろうが、それだけでも十分に実りあり、満足をしている。



 様々な有能な方のサポートを得て、実に得難い体験をしたのである。