札幌での音楽療法学会

 さる9月11日から3日間、開催された札幌での音楽療法学会に参加しました。

 今回、個人的に大きかったのは、自分のポスターによる演題発表の他、英語のプレゼンのデモンストレーションと東北震災復興支援シンポジウムにシンポジストとして参加する、といった風で3つも発表の機会が与えられたことです。幸運、光栄というほかありません。

 いずれも、自分なりにはきちんとやれたと思っています。

 こうした発表では、当然ですが当日の本番前の準備、聞いてくださった方との交流ということがあります。

 準備は、時に面倒であったり、訳が分からなくなったりしてしんどい面もありますが、こういうことを省いて学会参加すると、自分として得るものが少ないことを経験しています。それで参加する学会ではなるべく発表できるよう努力してきました。

 今回は、自らの応募の他、オファーがいただけたこと、嬉しかったです。


 ですが、大会全体のスケジュールの問題でもあるともいますが、割と短い時間帯内に研究発表とシンポジウムがあてられていて、一つ一つの発表では、オーディエンスが少ないということになりました。また自分も聞きたいと思う発表などにも、参加が難しくなるようなタイトな時間割でした。

 英語の発表は大きな会場でさせてもらったのですが、聴く人が少なく、もったいないような気もしました。それでも何人かの人がお声掛けをくださり、ああ、やってよかったなあ、と満足できました。


 発表に関しては、中身も大事です。僕の場合実践的な一連の活動の一つが研究発表で、それはオアイテとする音楽活動の一部を成しています。発表、そしてその準備で見出すことも多く、それによって実践が、多少なりともよいものに育っていくという実感は、僕の中で確かなものです。

 ですが、発表の大事な点は、自分のことだけではなく、誰かの役に立つようなことで、これからは貢献もしなければならないでしょう。


 今回講習会や講演を通じて実感したのは、誰もが同じようにできる技法的ことよりは、個人個人の感じ合い、用語としては「情動調律」というようなことが重きなしていたように思います。加えて、セラピスト一人ではなく、他職種の方とのコラボレーションや、コミュニティ的な視点も強調されていたと感じました。

 このようなことは、僕の活動の根幹をなすことで、もちろん優れた実践者というわけでもなく、十分な成果を挙げているわけでもありませんが、たくさんの経験による知識と人とのつながりも備わってきたようにも思っています。僕のやること、言うこと、そういうことがほかの人にも役立つような形で、問いかけることもこれから必要なだとも実感した次第です。