声は嘘をつかない!という魅力的な言葉を聞いたことがあります。その前に「言葉は嘘を使うが、・・・」という前置きもあります。
何が嘘で、何が嘘でないかを考え出すとややこしいので、「言葉の嘘」については言及しません。
声がその時の体調や思いや気持ちやらがいっぱい詰まっていることは誰でも知っています。僕が音楽療法士としてオアイテの前に立つ時、とてもおしゃべりな人ももちろんいる。ですがあまり声を発しないで、僕のお誘いや指示を受け止めて活動をする人も少なくありません。声がないからと言って心がこもっていないわけはないのですが、出そうと思えば声が出ないわけでもないので、まあ、平たく言えば面倒なんでしょう、返事もしないでことを済ませてしまうように映る時も、結構あります。
音楽療法士は「無理強い」はだめということになってますので、こんな場合は何気にたんたんと事態が進行するわけです。
「だんだんしゃべらなくなってきたように思う」というお母さんの一言を受けて、僕は声を出してもらおうと思うようになりました。10代後半のダウン症の女声です。発声練習と称して、僕は文字にはできないいろんな声を出して真似るように促しました。その多くは普段歌唱や会話の言葉に使うようなきちんとしたものではなく、だみ声とか呻き声とか言われてしまいそうな「汚い声」でした。
彼女は「くっくっく・・・」と声にはならない声を出して笑いました。
その後、セッションの度に「発声練習」をしました。僕はいろんな声を試して彼女を誘うのですが、応じてくる彼女の声は概ね普通で、僕がなるべく長く伸ばすように「あー」と声を引っ張ると、彼女なりのロングトーンを出してきました。
彼女の場合、声を出そうと、思って脳から指令を出して咽頭や声帯に準備をさせるのに相当時間がかかります。横で見守る僕にはその間がたまりません。
僕は迷わず、彼女とハーモニカを吹きました。ハーモニカを響かせるのに十分な息が声になっていたからです。
先般ライブスペース勢の!に出演して、軽快なドラミングを披露した、後僕とハーモニカのデュオを試みました。
ブースカ、ブースカやるうちに呼吸が安定してくる。次第に僕は「ふるさと」とメロディーを吹いていくと、もちろん彼女はドレミの位置などは無視していますけれど、歌のメロディにリズムを合わせてきます。
ハーモニカは息を吐いても吸っても音が出ますが、それでもフレーズの切れ目で長いブレスが入ります。この時こそ、僕と彼女が自分の息を整え合わせるための間、なのです。
言わされたり、吹かされたりするのではない、彼女のホントの声がハーモニカの優しい音色になったのを、僕はずっと実感していました。このライブのステージでも、彼女自身が見事にハーモニカで表現されたと思いました。
幸い、観客席にいた友人からも「よかった」と言ってもらいました。技術的に素晴らしい演奏は圧倒されますが、それよりも心動かされる演奏があることを知った、とも言ってもらいました。
彼女と発声練習をするようになってからグループの活動にも発声練習を積極的に取り入れました。メンバーのエネルギーがこもる声が少しずつ歌という形になっていくのを実感でき、手応えは十分です。
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