自分の弾き語り

 北村さんというギター弾き語り大好きの人です。先日の「よっつんと勢の!の仲間たち」というライブに出てもらいました。その時の写真です。

 

 この日、北村さんは、ギターで、「瀬戸の花嫁」や「アメリカ橋」を本当に心地よさそうに演奏してくれました。もちろん、マイクがあって観客がいれば、それはテンションも上がるだろうし、気分もいいに違いない。そう思います。

 

 ですが、彼は自分でいつもよく言うのですが「毎日ギターは欠かしたことがない」人で、それは誰かに聞かせるとか、練習をしてかっこいいところを見せようとかいうのとは違うように思うのです。ひたすら、ギターに触り、そのギターサウンドにのせて好きな歌を口ずさむ、その自分の心地よさがすべてなんだろうと感じます。思わず唇から笑みがこぼれてしまうような、そんな楽しさです。

 

 思えば、誰にもそんな時期があったはずです。自分の指がギターの弦に触れて懐で響く快感。慣れればどんどんいろんな音が紡がれる。この時、実は自分で弾いて、自分で鑑賞しているわけですけど、その時自分の心の中では、どんな名人の演奏よりも素晴らしい音楽が流れていたはずなんです。

 

 そこんところは多分、今プロで活動するような卓越した技術を備えた人であっても、全くおんなじ原点なんだろうと思います。

 北村さんの演奏からは、そんなことをつい連想してしまう楽しさが伝わってきます。

 

 もう一つ、ただ楽しいだけじゃない、それはギターをつま弾いた瞬間からずーっと北村さんが鳴っているんです。演奏するのはオリジナルでもなんでもなくみんながよく知っている歌謡曲なんですけど、徹底的に北村さんならではのサウンドが奏でられます。

 これって、もしかしたらプロのミュージシャンがそうありたいと願って日々精進してもなかなかたどり着けない、名人と言われるにふさわしい状況なんじゃあないでしょうか・・・・。

 名だたるミュージシャンは一声発しただけで、ああ北島三郎だとか、八代亜紀だとか分かってしまう個性に満ちた表現をします。

 そこへ北村さんを並べるのは、却って誤解を生むようなことなんですけど、僕の中では技術を超えて自分を表現していくことの見本を見せられた気がするんです。

 

 僕も北村さんを目指して自分の歌を歌ってみたいと、最近一人ライブを始めました。ギターも歌もマイクを通して、弾き語りするんです。観客は歌っている僕一人です。ちょっと練習っぽい時もありますけど、あくまでコンサートやってます。